2008年01月21日
讃岐和牛
かつて、川島には「川島牛市場」がありました。
共進会が開かれ、たくさんの牛が出場していました。
集乳所が何箇所か作られ、酪農の町として名前を知られた時期もあったそうです。
今では、酪農家も少なくなり、酪農組合もなくなってしまいました。
小さい頃から、川島に住んでいた伯母の家によく遊びに行きました。
伯母の家には牛小屋があり、そこで何時間も牛を眺めているのが好きな子どもでした。
牛の口の中に手を入れると、舌の表面はざらざらしています。
ぬめぬめとしたヨダレで腕がじゅるじゅるになります。
この感触は今でも覚えているのですが、腕がとろけそうになって、すご~く気持ちいい。
この愛すべき舌が美味しい牛タンになると思うと、ちょっと複雑な気持ちになります。
「仔牛が生まれたから見においで」
伯母はことのほか仔牛を大切にしていて、どの仔牛にも「ぼう」と呼んで育てていました。
牛が市場に行く日には、涙ぐんでいたときもあります。
讃岐和牛を広め支えてきた人たちが、この川島にいることを誇りに思います。
共進会が開かれ、たくさんの牛が出場していました。
集乳所が何箇所か作られ、酪農の町として名前を知られた時期もあったそうです。
今では、酪農家も少なくなり、酪農組合もなくなってしまいました。
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小さい頃から、川島に住んでいた伯母の家によく遊びに行きました。
伯母の家には牛小屋があり、そこで何時間も牛を眺めているのが好きな子どもでした。
牛の口の中に手を入れると、舌の表面はざらざらしています。
ぬめぬめとしたヨダレで腕がじゅるじゅるになります。
この感触は今でも覚えているのですが、腕がとろけそうになって、すご~く気持ちいい。
この愛すべき舌が美味しい牛タンになると思うと、ちょっと複雑な気持ちになります。
「仔牛が生まれたから見においで」
伯母はことのほか仔牛を大切にしていて、どの仔牛にも「ぼう」と呼んで育てていました。
牛が市場に行く日には、涙ぐんでいたときもあります。
讃岐和牛を広め支えてきた人たちが、この川島にいることを誇りに思います。
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―春日川に架かる橋― Photos by T.Yoshikawa |